村上春樹、 柴田元幸「翻訳夜話」



この本を読むと、無性に翻訳したくなります。

村上春樹氏は小説を書くだけでなく、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラー、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァーなど多くの翻訳を手がけています。それはなぜか。

P110「なぜ翻訳をやりたいかというと、それは自分の体がそういう作業を自然に求めているからです。なぜ求めるんだというと、それは正確に答えるのが難しい問題になってくるんだけどたぶん、僕は文章というものがすごく好きだから、優れた文章に浸かりたいんだということになると思います。」

「翻訳というのは言い換えれば、「もっとも効率の悪い読書」のことです。でも実際に自分の手を動かしてテキストを置き換えていくことによって、自分の中に染み込んでいくことはすごくあると思うんです。」

これは良く分かります。遥かにレベルは低いですが、同じ経験をしたことがあります。

仕事でリサーチペーパーを和訳していると、その人の論理の運び方、伝えるときのスタンスなどが自分に浸透し、自分でオリジナルを書く時に影響が出ます。

ブログでZenhabitsを和訳した後は、自分のオリジナル記事もZenhabits風の記事になりました。

咀嚼せずダイレクトに影響を受けてしまうのが、私の修行不足です。尊敬する作家を翻訳して自分に染み込ませつつ、自分自身のスタイルを作り上げる村上氏は、やはり超一流の文章のプロです。

村上氏は自らの文章論を語ることはほとんどありませんが、本書では翻訳文章論という形で村上氏の文章論を知ることができ、非常に貴重です。一部紹介します。

P45「僕は若い頃ずっとジャズの仕事をしていたんで、ロックも好きだけど、要するにビー度が身体にしみついているんですよね。だからビートがない文章って上手く読めないんです。それともう一つはうねりですね。(後略)」

「それは目で見るリズムなんです。目で追ってるリズム。言葉でしゃべっているときのリズムとスピードと、目で見るときのスピードとは違うんです。だから、目でリズムを掴まないと、口に出してたら、いつまでたっても文章のリズムって身につかないような気がする。」

村上氏の文章が読んでて心地よい秘密は、文章が持つ音楽的要素だと知りました。ジャズバーを経営していた経験が作家としてのスタイルに影響を与えていたとは。

本書では、2本の短編の村上訳と柴田(翻訳家で、村上氏に翻訳のアドバイスをされている方)訳を読み比べることができます。一つはレイモンド・カーヴァーの”Collectorts”。風変わりな掃除機のセールスマンの話です。

もう一つはポール・オースターの”Auggie Wren’s Christmas Story”。12年間、毎日同じ時刻に自分の店の前で全く同じアングルの写真を撮り続け、4000枚のアルバムを作った男のクリスマスの話です。

最後に、本書の中の好きな言葉を紹介します。「翻訳」の部分を今あなたが取り組んでいる事、仕事や育児や趣味など、に置き換えてみると発見があると思います。

P91「それはとにかく、いくつも、いくつも、いくつも、いくつも翻訳をやるしかないと思うんです。その中で自然に出てきます。それしかないです。頭で自分のスタイルを作らなくちゃと思って考えても、それは無理です。積み重ねの中で出てくるものだから。とにかくもう何でもいいから、寝食を忘れて一生懸命いろんなものを翻訳して、何度も何度も読み直して、何度も何度も書き直して、人に読んでもらってまた書き直すということを続けていれば、スタイルというのは自然に出てきます。」

このほかにも、東大教養学部や翻訳学校の生徒、若手翻訳家との質疑応答セッションでは、翻訳にまつわるテクニカルでマニアックな話や、小説と翻訳での収入の違い等を村上氏がリラックスして話していて面白いです。

なんらかの形で和訳や翻訳に関わる人は一読の価値があります。


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