本多静六「私の財産告白」


本多静六「私の財産告白」を読みました。
これはかなり面白い本でした。

本多静六氏は、大学教授という、報酬が決して高いわけではない職業に就きながらも、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築いた人です。

本多氏が並の金持ちと違うのは、60歳の定年退官の際に全財産を匿名、または他人名義で寄付してしまい、その後も質素な生活を続けた所。

本書では、本多静六氏の蓄財法や仕事・生活に対する哲学が披露されています。

以下は、私個人のための読書メモ(というか書きぬき)です。


本多静六「私の財産告白」
P44勤労生活者が金を作るには、単なる消費面の節約といった、消極策ばかりでは十分ではない。本職に差し支えない限り、否本職のたしになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトに努めることである。
 私のアルバイトは「一日に一頁」の文章執筆の「行」によって始められた。
 それは満二十五歳の九月から実行に入ったことで、私は四分の一貯金の開始と共に、一日一頁分(三十二字詰十四行)以上の文章、それも著述現行として印刷価値のあるものを毎日書き続け、第一期目標五十歳に及ぼうというものであった。これには、貯金と同じようにあくまでも忍耐と継続とが大切で、最初はずいぶん苦しかったが、断然やりぬいた。一週間旅行すると七頁分も溜まる。あとの一週間は一日二頁分宛てにして取りかえさなければならぬ。年末俗事に煩わされて時間を食ってしまうと、翌年からは元旦早朝に学校へ出かけて行って、十枚、二十枚の書き溜めさえやった。次第に慣れ、だんだん面白く、仕舞いには、長期旅行をするのに、いつも繰り上げ執筆ですまされるようになった。
 ところが、四十二歳のとき、腸チフスにかかって赤十字病院へ入り、三十八日間この「行」を休まされてしまったので、それを取り返すために一日三頁分宛に改め、退院の翌日から再び馬力をかけた。そうしてこれがいつしか新しい習いとなり、一日三頁分、すなわり、一ヵ年千頁というのが、知らず識らずの中に第二の取り決めになってしまった。もう第一期限の五十はとうに過ぎ去ったが、八十五のいまもってこのアルバイトを続けているので、つまらぬ本も多いながら、中小三百七十余冊の著書を生み出すことができたのである。

P68二杯の天丼はうまく食えぬ
いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定されるものである。
 つまりは、現在ある地位の高下によるのではなく、動きつつある方向の如何にあるのである。したがって、大金持ちに生まれた人や、すでに大金持ちになった人はすでに坂の頂上にいるので、それより上に向かうのは容易ではなく、ともすれば転げ落ちそうになり、そこにいつも心配が絶えぬが、坂の下や中途にあるものは、それ以下に落ちることもなく、また少しの努力で上に登る一方なのだから、かえって幸福に感ずる機会が多いといことになる。

P70実をいうと、私は若い頃にこんな人生計画を立てた。「四十までは勤倹貯蓄、六十までは勉学著述、七十まではお礼奉公、幸い七十以上生きられたら、居を山紫水明の温泉郷に卜し、晴耕雨読の生活を楽しむ」と。
 爾来曲がりなりにも、私はこの計画通りに生きて、早くも八十の坂を越えてきたが、大戦と大敗の国家的大変動を経て、私の生活にも幾変遷を免れなかった。しかもその結果、私の生活安定法は、「若いうちに勤倹貯蓄、慈善報謝、陰徳を積み、老後はその貯蓄と陽報で楽隠居する」という旧式な考え方を超越して、楽隠居などという不自由な怠惰生活はさらりと捨て、「人生即努力、努力即幸福」なる新人生観によって、古臭い財産観も、陰徳陽報主義も一審されるに至ったのである。

P83初めのうちは手堅く勤倹生活をつづけていて、急に途中からぐれ出す人々を多く見かけるが、仔細にこれを調べてみると、いずれも功を急いで不堅実なやり方をしたものばかりである。すなわり実力相応な進み方をしていればよいのに、資産不相応な融資をしたり無理算段の投資をしたり、おのれの器量以上に大きな仕事や、不慣れな事業に手を染めたり、とにかく、いたずらに成功を焦ったり、堅実を欠くに至った人たちが失敗に帰しているのである。だから、少しばかり金ができても、早く金持ちになろうとか、急に財産を増やそうと焦るのは、たとえ一時の小成功を収めることはあっても、必ず最後はつまずきを招くものであるから、何人もよくよく注意しなければならない。

P124金儲けを甘く見てはいけない。真の金儲けはただ、徐々に、堅実に、急がず、休まず、自己の本職本業を守って努力を積み重ねていくほか、別にこれぞという名策名案はないのであって、手っ取り早く成功せんとするものは、また手っ取り早く失敗してしまう。没落のあとに残るものは悪徳と悪習慣、そしてときには不義理な借金ばかりであろう。戦後いかにこうした小成金的金儲けのために、身を誤り、家を損なったものが多かったことか。

P190さてここに、凡人者の天才者に対する必勝――とまではいかなくとも、少なくとも不敗の職業戦術がある。
 それは「仕事に追われないで、仕事を追う」ことである。つまり天才が一時間かかってやるところを、二時間やって追いつき、三時間やって追い越すことである。今日の仕事を今日片付けるのはもちろん、明日の仕事を今日に、明後日の仕事を明日に、さらにすすんでは今日にも引きつけることである。

P206 要するに、平凡人はいついかなる場合も本業第一たるべきこと。本業専一たるべきこと。一つのことに全力を集中して押し進むべきこと。これが平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けず、それらに伍してよく成功を勝ち得る唯一の道である。しかも職業上の成功こそは、他のいかなる成功にもまして、働くその人自身にも、またその周囲の人々にも人生の最大幸福をもたらすものである。
 人生即努力、努力即幸福、これが私の体験社会学の最終結論である。


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