この記事は「予備知識無しでもよく分かる経済解説」シリーズです。
第二次世界大戦後は、「金本位制を前提として、アメリカドルを基軸通貨とする固定相場制」、いわゆるブレトンウッズ体制という通貨体制がとられました。
第二次世界大戦が終わり、平和がおとずれた世界では、この通貨体制のもとで、順調に経済が成長していきました。
敗戦し、国土は焼け野原となった日本も、高度経済成長を成し遂げることができました。
しかし、この固定相場制は、1973年に終わりを迎えることとなりました。
固定相場制が終わった原因は何でしょうか。
それは、アメリカが行った朝鮮戦争、ベトナム戦争と、日本の高度経済成長が関係するのです。
1950年から勃発した朝鮮戦争やベトナム戦争では、アメリカは武器など戦争物資の輸入に多くのアメリカドルを使いました。ドルが足りなくなったので、アメリカはアメリカドルを大量に印刷しました。
一方で、日本やヨーロッパの各国は、第二次世界大戦後、順調に経済力を回復させました。そして、生産力、技術力を身につけ、質の良い製品を低コストで作ることができるようになりました。
日本やヨーロッパが作る製品の方が、アメリカ国内で作られる製品よりも安くて質が高くなっので、アメリカは日本やヨーロッパの製品を多く輸入するようになりました。そのためアメリカは、ますますアメリカドルをたくさん使うことになったのです。
こうして、世界にはアメリカドルが多く流通するようになりました。
アメリカがあまりにアメリカドルを発行するため、だんだんと世界はアメリカドルを信用できなくなってきました。
一方で、世界中がドルの代わりに金(ゴールド)をほしがるようになりました。ドルに対する信用は低下していきましたが、金(ゴールド)の価値に対する信用はたかいままだったのです。
そして、世界中の国々が、ドルを金(ゴールド)と交換する動きが広がりました。
この、ドルを金(ゴールド)に交換する動きが激しかったため、この交換に応じていたアメリカの金(ゴールド)保有量はどんどん減っていきました。
このように、アメリカが保有する金(ゴールド)の量が減る一方で、アメリカドルは大量に印刷されたため、世界中にドルが大量に出回り、そのドルを手に入れた人が金(ゴールド)への交換しようとしたので、ますますアメリカの金(ゴールド)が減ってしまう、という悪循環が発生したのです。
そして、アメリカは「金(ゴールド)1オンス=35ドル」での交換に応じることが難しくなって行きました。
ついに1971年8月、当時のアメリカ大統領ニクソンが、「アメリカドルと金(ゴールド)の交換を停止します。」と宣言したのです。これを、ニクソン・ショックといいます。
こうして、第二次世界大戦後から約20年続いた、「金本位制に基づいてアメリカドルを基軸通貨とする固定相場制」という通貨体制、ブレトン・ウッズ体制が崩壊したのです。
【解説】
「ニクソン・ショック」とは
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1971年8月に、アメリカのニクソン大統領が米ドルと金との交換の停止を宣言し、世界中に大きなショックを与えた出来事を「ニクソン・ショック」という。この「ニクソン・ショック」によって、金本位制は終焉を迎えた。
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この「ニクソン・ショック」によって、アメリカドルは、「いつでも金(ゴールド)に交換できる」という安心感がなくなってしまいましたが、その後も、アメリカドルを基軸通貨とする固定相場制が続けられました。
そして、金本位制の停止から4ヶ月後の1971年12月、アメリカは、「通貨の切り下げ」を行いました。
例えば、アメリカドルと日本円の関係は、これまで「1ドル=360円」の交換比率だったのが、「1ドル=308円」に変更されました。
日本人の立場からみると、これまで1ドルを手に入れるためには、360円を支払っていました。しかし、このアメリカドル通貨切り下げ以降は、1ドルを手に入れるために、308円だけ支払えば良いようになったのです。
同じ1ドルが、360円から308円に値下げされたのですから、これはとても大きな変動です。例えば、これまで1万ドルのアメリカの車を買おうと思ったら、1万ドル=360万円を支払わなければならなかったのが、1万ドル=308万円に値下げされたのです。
52万円の値下げはとても大きいです。
このように、アメリカドルの日本円に対する評価が下げられたのです。アメリカは、世界中の通貨に対し、アメリカドルの価値を低下させました。
これは、金本位制の崩壊によって、世界中の人々がこれまでの交換比率でドルに換えるのを嫌がったために、その評価の実態にアメリカドルの価値を合わせたのです。
こうしてドルの価値は実態に合わせて下げられたのですが、
通貨を切り下げた後も、固定相場制は安定しませんでした。
アメリカは、1965年に始めたベトナム戦争を、ニクソン・ショック後も続けていました。そして戦争を続けるためにドルを使い続けていました。
このベトナム戦争の泥沼化によって、アメリカドルがますます大量に出回り、ドルに対する信用はどんどん低下していったのです。
そして、1ドル=308円の交換比率でも、ドルと交換するのをためらう人がたくさん現れました。
このように、「固定相場制」を採用すれば自動的に固定した為替レートで順調に通貨の交換が行われる、というわけではないのです。
具体的に説明しましょう。
1ドル=308円の交換比率では、
「ドルを円に換えたい」という人が100人いる一方で、
「円をドルを変えたい」という人は1人しかいないとします。
すると、この「ドルを円に換えたい」人はほとんどは、ドルを円に換えることができません。通貨を交換する相手が見つからないからです。
この場合、日本円を管理している「日本銀行」が、1ドル=308円で交換に応じる必要があります。
そうしないと「固定相場制」を維持できないからです。
「ドルを円に換えたい」人々は、ドルを日本銀行に支払います。そして「日本銀行」はドルを受け取り、受け取った1ドルに対し308円を支払います。
こうして、無事に「固定相場制」で定められた「1ドル=308円」での通貨の交換が成り立ちます。
しかし、ここで困った問題が起きます。
「日本銀行」の内部にドルがどんどんたまる一方、「日本銀行」は外に日本円をどんどんだしてしまいますから、世間に出まわる日本円がどんどん増えていってしまうのです。
日本円が多く出回ると、日本円の価値が落ちてしまいます。すると、物価が上昇してしまいます。つまり「インフレーション」のリスクが高まるのです。
このように、「日本銀行」がドルを受け取り日本円を支払う、ということをやりすぎると「インフレーション」の危険が高まるため、「日本銀行」はドルと円の交換を続けるわけにはいかないのです。
こうして、「固定相場制」は「1ドル=308円」に通貨交換比率が変更された後も、安定することはできませんでした。
そして1973年2月、ついに日本はアメリカドルとの「固定相場制」をやめて「変動相場制」に変更しました。翌月3月には、他の主要国も次々と「変動相場制」に変更していきました。
「変動相場制」とは、為替相場が固定されておらず、ドル対円などの通貨の交換比率が変動する制度のことです。
【解説】
「変動相場制」とは
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為替相場が固定されておらず、ドル対円などの通貨の交換比率が変動する制度のことを「変動相場制」という。
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世界の通貨体制が「変動相場制」に変わったことで、世界各国の通貨の交換比率は日々変動することになりました。
こうして、世界の通貨システムは「固定相場制」から「変動相場制」へと変わり、世界中のお金の動きが為替交換比率を動かすことになったのです。
【まとめ】
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第二次世界大戦後、「ブレトンウッズ体制」、つまり「金本位制」を前提としてアメリカドルを「基軸通貨」とする「固定相場制」は、ベトナム戦争等によってアメリカドルに対する信用が低下したこと等から1973年に終わり、「変動相場制」に変わった。
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