本日の記事の元ネタはマイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」です。本書からインスパイアされて考えたことを書いています。
リバタリアニズム(新自由主義)とは政治哲学の一つで、「個人の自由を最大限尊重すべきである」と考えます。小さな政府を理想とし、政府の役割を防衛と警察など最小限にとどめる、生活保護や老齢年金などの福祉は個人の自立を妨げる有害なものなので廃止すする、などの説を持ちます。
リバタリアニズムはかなり極端な思想ですが、個人の行動哲学として有効だと私は考えます。
リバタリアン(リバタリアリズムを信条とする人)は、国や会社に頼ろうという発想を一切持ちません。「自分は年金がもらえるだろうか」などということを心配しません。国や企業の年金などあてにせず、自分の老後資金や緊急時の資金は自分で準備します。
リバタリアンは自己責任の原則に基づいて思考し行動します。だから、国や企業の年金などの福祉制度が破綻しても動じません。はじめからあてにしていないからです。
現在は、誰もがリバタリアン的要素を持って生きることが求められています。私たちは、国の福祉をあてにするのでなく、自己責任で生きる気概を持たなければなりません。事故や災害などの不運にみまわれ援助を受けざるをえないときはありますが、福祉はこのような、懸命に自助努力したけれども不運によって自活できなくなった人だけに限定して提供すべきです。
はじめから福祉制度をあてにして、福祉水準維持のためのロビイスト活動に専念するような人には福祉を提供すべきではありません。もし、国民全員がこのようなすねかじりになってしまったら、福祉制度は一瞬で破綻します。福祉の財源を稼ぎ拠出する人がいないからです。
福祉の財源は、最終的には誰かが支払った税金なのです。すべての人が福祉をあてにすると福祉制度は破綻します。「自分は福祉の世話にならない」と考え自分の力で生きる人がいてはじめて、福祉制度は維持可能となるのです。
福祉を否定するリバタリアンが増えるほど福祉制度は健全となり、福祉重視のリベラリスト、コミュニストが増えるほど、福祉制度が破綻に近づく、というのは皮肉なパラドックスです。そして今、福祉制度は徐々に破綻に向かっています。
福祉をあてにして生きるより、福祉をあてにしないリバタリアン的気概を持って生きるほうが、いさぎよい生き方だし、福祉制度が破綻した場合も何も失いません。行動哲学として、リバタリアニズムは注目されて良いと思います。
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