孔子の気概はとてつもなく大きい。あらゆる帝王の事業一つ一つにすべてとりくんだが、それもほかならぬ彼自身の主体性にもとづいたものである。大樹にたとえると、たくさんの枝や葉を茂らせているのは、根本を育てる世話をしたから、だから自然にちゃんとこうなったのである。枝や葉を育てる世話をして根本を強くしようとしたのではない。学ぶものが、孔子を学ぶのに、主体性を養う努力をしないで、せきたてられるように孔子の気概を学ぼうとするのは、本末を転倒するものである。王陽明「伝習録」
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