カントによると私は全く自由ではないらしい




サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」を以前に単行本で読んだのですが、文庫版がでたので再購入しました。

本書で紹介される、カントの自由の定義は興味深いです。自由とは「自律的に行動すること」であるとカントは定義します。カントによると、単に自分の好き勝手に行動する人は自由ではないのです。

たとえば酒を飲みたくなったので酒を飲んだとします。彼が自由なのかというと、カントの定義では、彼は全く自由ではありません。
 
理由は、酒という自分の外部にあるものに支配されているからです。酒を飲みたい人間は自由な人間ではなく、酒の奴隷なのです。

アイスクリームショップでバニラ味とチョコ味が売っていて、自分の意志でバニラを選んだとしても、カントによれば、それは自由意志とは呼べません。バニラとチョコという限られた選択肢のなかから、便宜的に自分の好みに近い物を選ばされたにすぎないからです。

ではいったいどうすれば自由といえるのか、人間の真の自由意志とはいったい何なのか。ここから本格的な哲学的な議論が始められます。詳しくは本書をお読みください。

カントの自由の定義は難解で、私は完全には理解できてないと思います。それでも面白いと思ったのは、「自分の欲求をコントロールできない人は自由ではない」とも解釈できるな、と思ったからです(たぶんカントの厳密な定義からは外れた理解だと思いますが)。

「TOEIC700をとるために英語の勉強をするぞ!」と決意しても、翌日には「今日だけは勉強を休もう。今日は仕事が大変だったので頭がボーっとしてるから・・・」などと自分に言い訳してしまうことがあります。このとき、TOEIC700という目標が自分の自由意志で決めたことであれば、翌日の言い訳は、自分の自由意志を妨害する邪魔者といえるでしょう。自分で決めたことを実行できない人間は、自由ではなく、言い訳の奴隷なのです。

「翌日の言い訳も自分の自由意志から発生したものではないか」という考え方もあります。この場合、どちらが自分の本当の自由意志でしょうか。それを決定するのは自分自身です。TOEIC700をとる自分と、言い訳して勉強しない自分、どちらがなりたい自分か、どちらを自分自身で尊敬することができるか、によります。

こう書くと「TOEIC700をとる自分を真の自由意志だと考えるべきだ」と誘導していると思われるかもしれませんが、そんな意図はありません。実際、私自身は、「何もしない人生もありだ」と考えています。大切なのは、どちらを選ぶにせよ、自分自身で選びその通りに行動するということです。そうして初めてあなたは自由になれるのです。

正直、私は自由にほど遠い状態です。怠惰と煩悩の奴隷です。。。




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