【予備知識無しでもよく分かる経済解説5】ロシア危機(1998年)

今回は「予備知識無しでもよく分かる経済解説」シリーズをお送りします。

1917年にソ連が世界初の社会主義国となって以来1991年まで、ソ連は社会主義国としての道を歩んできました。

1992年1月1日、ソ連は解体され、旧ソ連はロシアとなり、社会主義国から資本主義国へと変わりました。

なぜ、ソ連は社会主義を捨てざるを得なかったのでしょうか。

まずはじめに、「社会主義」とは何かを見ていきましょう。

「社会主義」「資本主義」の大きな違いは、「私有財産」を認めているかいないかという点です。

「資本主義」では、国民は土地や家や車やそのほかいろいろな物を買い、自分の物にすることができます。

一方「社会主義」では、国内の資産は全て国が管理することになっています。


【解説】

 資本主義と社会主義の違い(1)
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・「資本主義」では「私有財産」が認められている。国民は自分で商売して財産を蓄えることができる。
・「社会主義」では「私有財産」が認められていない。国内のすべての資産は国の物。
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「資本主義」と「社会主義」では、物を生産するための仕組みに大きな違いがあります。

「資本主義」では「市場経済」といって、国民は自分で自由に商売を始めることができます。同じ商売をしている店や会社が他にもありますので、その競争相手よりもより質の高い製品をより安い価格で販売する競争が発生します。製品を買う側は、いろいろな店や会社の製品を比べて、質が高く価格の安い製品を選んで買うことができます。

店や会社は、競合他社よりも製品の質を高くする努力を続けなければなりません。同時に、競合他社よりも安く製品を売るために、コストカットの努力も続けなければなりません。

このように、資本主義国の市場経済では、製品を作り売る側は、よりよい商品をより安いコストで作る競争をしており、買う側はよりよい商品をより安く買うことができるのです。


【解説】

 「資本主義」での「市場経済」について
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「資本主義経済」での「市場経済」では、誰でも自由に商売を始めることができる。商売する人達は、より良い商品をより安く売る競争をする。商品を買う人達は、いろいろな商品の中から、より質が高くより安い商品を自由に選んで買うことができる。
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では次に「社会主義」における「計画経済」について見ていきましょう。

「市場経済」では、何を作って誰に売るかを国民が自由に決めることができました。一方、「計画経済」では、何をどれくらい作って、誰にどれだけ配分するかは政府が決めます。
政府がパンや鉛筆や衣服などなど全ての品物について、どれだけの量を生産するかを決定するのです。そして、国民は政府が立てた計画通りに物を生産します。政府は生産された物を全国民に平等に配ります。

つまり、「社会主義」は、「計画経済」によって全国民に平等に食料や品物を配分し、「みんなが平等に豊かな社会」を作ることを目的としているのです。


【解説】

 「社会主義」での「計画経済」について
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「計画経済」では、何をどれくらいの量作るか、誰にどれだけ配分するかを政府が全て管理し決定する。政府は全ての品物を適切な量だけ生産し、全ての国民に平等に分配することで、全国民が平等に豊かな社会を実現する。
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社会主義が掲げる「全国民が平等に豊かな社会を実現する」という理念は非常に魅力的です。

しかし、魅力的な理念を掲げた社会主義経済は、最終的には行き詰ってしまい、ロシアは資本主義へ転換せざるをえなくなりました。

ロシアの社会主義が行き詰ったのには理由があります。

「全ての国民が平等に豊かな社会」という理念自体に落とし穴があったのです。

「全ての人が平等に豊か」ということは、仕事を頑張った人も怠けた人も、受け取る給料は同じなのです。国民が受け取る給料の金額も政府の計画で決められており、いくら頑張っても給料が増えることはありません。

これでは、仕事を頑張ろうと思えません。

このため、ソ連の国民は、たくさんの物を作るために一所懸命に働いたり、製品の質を上げることや生産コストを落とすことのために知恵を絞って工夫したりする人よりも、政府から指示された仕事を怠けながらするだけの人のほうが多くなったのです。

こうして、ソ連の生産性や技術力、新商品開発力は低下し、質の低い商品が少ししかない世の中になってしまいました。数少ない質の低い商品を国民に平等に配った結果、国民全体が平等に貧乏な状態になってしまったのです。

こうしてソ連の経済が貧しくなり、計画経済はとうとう行き詰ってしまいました。

【解説】

 「計画経済」が行き詰った理由
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「社会主義」は、全ての国民が平等に豊かな社会を実現することを目的としていたが、一所懸命に働いた人も、怠けた人と同じ分配しか受けることができないことから、仕事を頑張ったり工夫したりする意欲を国民が失ってしまう。
そのため生産性が低下し、技術力が向上することもなく、国全体の豊かさが低下してしまい、国民全体が平等に貧乏な状態となってしまった。
こうして国全体の経済が停滞したことにより「計画経済」は行き詰った。
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1992年1月1日、計画経済に行き詰ったソ連は解体され、ロシアが誕生しました。

ロシアは、計画経済による社会主義の実現をあきらめ、市場経済を採用する資本主義国となりました。

ここで、もう一度「資本主義」と「市場経済」についての【解説】をおさらいしましょう。

【解説】

 「資本主義」での「市場経済」について
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「資本主義経済」での「市場経済」では、誰でも自由に商売を始めることができる。商売する人達は、より良い商品をより安く売る競争をする。商品を買う人達は、いろいろな商品の中から、より質が高くより安い商品を自由に選んで買うことができる。
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ロシアは、政府がなんでも決めて国民がそれに従う「計画経済」から、国民は自由に物を作って売ったり、買ったりできる「市場経済」へと移行ました。

しかし、ロシアが市場経済に移行した1992年、ロシアの経済は、物価が26倍に上昇する大混乱に陥りました。その後も1995年まで一年あたり100%以上物価が上昇しました。

この急激な物価上昇は、当時のロシアが市場経済を成り立たせるための条件を揃えていなかったことが原因でした。

ロシアになかった市場経済のために必須の条件とは「競争」です。

資本主義国ロシアが誕生する前、社会主義国ソ連が計画経済をとっていた頃、一つの業種につき、一つの会社しかありませんでした。

例えば、服や靴などを作る企業が一つしかないような状態です。

このように、ある商品の生産や販売を一社だけで行い、商売を独占している企業を「独占企業」といいます。


【解説】

 「独占企業」について
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ある商品の生産や販売を一社だけで行い、商売を独占している企業を「独占企業」という。
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計画経済の時は、独占企業があっても何の問題もありませんでした。「今年は靴を1万足作る」と政府が決めたら、靴製造会社に、「今年は靴を1万足作りなさい」と命令すればよいからです。わざわざ二つの靴製造会社を作って、「あなたは3千足作りなさい」「おたくは7千足作りなさい」と分担させる必要はありません。

こうして、資本主義国に移行したロシアでも、一つの業種に一つの会社しかない「独占企業」がたくさん残っていたのです。

さて、資本主義による市場経済に移行した後、この「独占企業」はどのような行動をとったのでしょうか。

計画経済では、製品を作る量や売る価格は政府が決めます。そのため「独占企業」が販売する商品の値段も政府が決めます。

一方、市場経済では、作る量や価格は企業が決めます。そのため、値段を決める権利が政府から企業へ移ったとき、「独占会社」は、自分の利益を増やすために商品の値段をつり上げました。

商品を買う側は、どんなに商品の値段が高くても、その会社からしか商品を買えないのですから、高いお金を払って買うしかありません。

こうして、物価がどんどん上昇していき、ハイパーインフレの要因となりました。

【解説】

 市場経済を採用したロシアがハイパーインフレに陥った理由について(1)
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ロシアは資本主義国となり市場経済を採用した1992年、物価が26倍に上昇する「ハイパーインフレ」に陥った。その理由は:
・「計画経済」の時に一業種につき一つの企業しか作っていなかった。そのため、企業が自由に価格を決めてよい「市場経済」のもとで、競争相手のいない「独占企業」が利益を増やすために商品の価格をつり上げた。
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「独占企業」による値段のつり上げのほかにも、ハイパーインフレをおこした理由があります。

ロシア政府は計画経済から市場経済に移行した際に、企業や国民から税金を集めなければならないようになりました。

社会主義経済では、政府は税金を集める必要がありませんでした。しかし、資本主義経済では、企業の利益や国民の所得などから税金を集める必要があります。

ところが、長く社会主義体制の間、税金を集める必要がなかった政府には、税金を集めるための、税務署などの仕組みがまったくありませんでした。

そのため、資本主義体制に移行した後、ロシア政府はうまく税金を集めることができず、政府の財源が減っていってしまいました。

お金に困ったロシア政府は、ロシア通貨のルーブル紙幣を大量に印刷することで、財源不足を補いました。

政府が企業などにお金を支払うたびにルーブルが印刷されました。企業はルーブルを受け取ります。そして企業は従業員に給料としてルーブルを支払います。従業員は生活していく上で必要な物などを買う時にルーブルをお店に支払います。

これは通常のお金の流れですが、国が無秩序に通貨を発行し、あまりにも大量のルーブルが世の中に出回り始めると、会社や国民は「なんかへんだぞ?」と感じ始めます。

会社やお店は、「最近簡単にルーブルが手に入るようになった。貧乏だった会社や人までたくさんルーブルを持っている。今までの値段で商品を売ってしまってよいのだろうか?」と考え、ルーブルと商品の交換を嫌がり始めます。

こうして、国が通貨を発行しすぎた場合、通貨の価値が下落していくのです。


【解説】

 市場経済を採用したロシアがハイパーインフレに陥った理由について(2)
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ロシアは資本主義国となり市場経済を採用した1992年、物価が26倍に上昇する「ハイパーインフレ」に陥った。その理由は、長い間社会主義国だったロシア政府は税金をあつめる仕組みが整っていなかった。税金を集められない政府は財源をまかなうために紙幣を大量に印刷した。このため通貨の価値が落ちた。
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ロシアが大量にルーブルを発行したため、ルーブルの価値が落ち、物価が上がってしまいました。

ルーブルの価値が落ちたのはロシア国内だけでなく、為替相場でも同じでした。

ロシア国内でインフレが起きていて、ロシア経済は危ない、と感じた世界中の人々は、ルーブルをほしがらないようになりました。そのため、他の国の通貨に対するルーブルの価値は下落しました。

ルーブルの価値が下落すると、ロシアから見た外国の商品の値段が高くなってしまいます。この、輸入品の値上がりもロシアのインフレーションを加速させる要因となりました。

【解説】

 市場経済を採用したロシアがハイパーインフレに陥った理由について(3)
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ロシアは資本主義国となり市場経済を採用した1992年、物価が26倍に上昇する「ハイパーインフレ」に陥った。その理由は:
・ロシアが大量にルーブルを発行したため、ルーブルの価値が落ちた。為替相場においても、他の国の通貨に対するルーブルの価値が下落した。そのためロシアから見た外国の商品の値段が上がってしまった。
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■ロシア、デノミネーションを実施

ロシアで1992年から1995年の4年間で、物価が1800倍にもなるハイパーインフレーションが発生しました。

今までルーブル紙幣1枚出せば買えた日用品も、紙幣を1800枚用意しないと買えないようになってしまいました。

ちょっとした買い物に行く時でも大量の紙幣をかついで買い物に行かなくてはなりません。これでは日常生活を送る上で、とっても不便です。

そこでロシアは1998年、「デノミネーション」を実施しました。

「デノミネーション」とは、お金の単位を新たに設定することです。

ロシア政府は、新ルーブルを発行し、1000旧ルーブルに対し、1新ルーブルと交換しました。
この「デノミネーション」によって、国民は1000枚の旧ルーブル紙幣が必要だった買い物も、1枚の新ルーブル紙幣で買い物できるようになったのです。


IMFがロシアを管理強化

ロシアが資本主義国に移行した1992年から、IMFはロシアへ融資し、ロシアの資本主義国としての発展を支援してきました。

しかし、ロシアでハイパーインフレが起こり、ロシア独力では経済の再建は困難と判断したIMFは1995年、ロシアの管理を強化することにしました。

IMFはまず、インフレを抑えるための措置をロシアに要求しました。

まず、紙幣を増発するのではなく、かわりに国債を発行するようロシアに要求しました。
次に、為替の変動相場制から固定相場制へ移行し、アメリカドルとの為替レートを固定するよう要求しました。


【解説】

 1995年にIMFが、ハイパーインフレに苦しむロシアに要求したことについて
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ハイパーインフレによって経済が混乱していたロシアに対し、IMFは、
・紙幣の増刷をやめ、代わりに国債を発行する。
・変動相場制から、アメリカドルとの為替レートを固定する固定相場制へ移行する。
この2つを要求した。
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これらの政策によって、ロシアのインフレは徐々に落ち着きを見せました。

これらの政策がどのようにインフレを鎮静化したのか見ていきましょう。


■紙幣発行をやめ国債を発行することの効果

IMFからの要求により、ロシア政府はこれまで紙幣をバンバン印刷してきたのをやめて、代わりにお金が必要になった時には国債を発行することにしました。

通貨を大量に印刷していた時は、国中に通貨が大量に出回り、通貨の価値が暴落しました。

この通貨の発行をやめて、国債を発行するようにすると、何が変わるのでしょうか。

ロシア政府がお金が必要な時に通貨でなく、国債を発行すると、投資家がルーブルを政府に支払って、国債を受け取ります。政府はルーブルを受け取り、国債を渡します。

こうしてロシア政府は必要なお金を手に入れ、投資家はロシア国債を手に入れます。

以上の過程で、ルーブル紙幣が一枚も印刷されていないことに注目してください。

ルーブルの量が増えていないので、ルーブルの価値が落ちることはありません。

その代り、国債を発行したロシア政府には国債発行額に利子を付けて将来返済する義務が発生します。つまり、ロシア政府は借金をしたと一緒なのです。

そもそも、これまでルーブルをバンバン印刷してそれで政府支出をまかなおうとしていたことが、おかしいのです。

お金を稼がず、借金をするわけでもなく、際限なくお金を印刷して支出するなんてことが永遠に続けられるわけがないのです。お金を大量に発行することで、お金の価値が落ちてハイパーインフレーションが起きてしまったのは当然の結果です。

通貨を発行するのをやめて、国債を発行するようにしたのですから、今度は国債をどんどん発行したら、今度は国債の価値が落ちるのでは?ということが心配になります。

しかし、意外にもロシアが発行する国債は海外投資家から人気がありました。

最初、ロシアが発行した国債は50%の金利がついていました。これは例えば、100万ルーブルのロシア国債を買うと、1年間で100万ルーブルの50%、つまり50万ルーブルの金利が受け取れるということです。

このようにとても高い金利がついていたことが人気の理由の1つです。

さらにロシアは、IMFの要求に従い、ルーブルの価値をアメリカドルに対し固定する固定相場制をとっていました。このことにより、ルーブルはアメリカドルに対し価値が動くことがないようになっていました。つまり、海外投資家からすると「アメリカドルとの為替変動リスクがないのに、アメリカ国債よりもはるかに金利が高い」ということで、ロシア国債に注目があつまりました。

発行当初の1996年こそ金利は50%と高かったのですが、ロシア国債の人気が高かったため、1997年には金利は20%台にまで低下しました。

これはどういうことかというと、「昔は金利50%ももらえたのに、今は20%しかもらえないのか。でも、まだまだアメリカ国債よりも金利は高いし、まいいか。」と考えた投資家が金利20%でも喜んでロシア国債を買ったのです。

こうして、次の2つの要因によって、ロシアのインフレはおさまって行きました。

(1)通貨の増発をやめたことで、世の中に出回る通貨の量が増えなくなった
(2)固定相場制へ移行したことで、ルーブルの下落が止まった

もう一つ、インフレがおさまった理由があります。

独占企業が減っていったのです。

固定相場制により通貨が安定したことにより、ロシアが海外から商品を輸入する量が増えていきました。

すると、今まで高い値段で商品を売っていたロシア企業よりも、安い値段で輸入品を売る企業が現れました。「市場経済」を導入したのですから、原則として誰でも自由に品物を輸入して国内で売ることができたのです。

安い輸入品を売る企業が出てくると、これまで高い値段で商品を売って暴利をむさぼっていた会社も値段を下げざるを得なくなりました。

こうして、独占企業による値上げがとまり、企業競争によって値段が下がっていきました。これもまた、ロシアのインフレをおさめる要因となりました。


【解説】

 1990年代後半に、ロシアのインフレが収まった理由
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・通貨の増発をやめたことで、世の中に出回る通貨の量が増えなくなった。
・固定相場制へ移行したことで、ルーブルの下落が止まった。
・安い輸入品が入ってきたことで、独占企業による値段のつり上げがとまった。
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こうしてロシア経済は回復し始めました。

しかしこの頃、ロシアと世界にとって不幸な出来事が起きてしまいました。

1997年の「アジア通貨危機」です。


アジア通貨危機では、経常収支赤字を続けるアジア諸国の通貨が空売りされたり、外国投資家の投資資金がアジアから逃げていったりしました。その結果、ドルに為替レートを固定する固定相場制をとっていたアジア各国は次々と固定相場制を諦め、変動相場制に移行し、そして通貨価値が暴落していきました。

海外投資家は、「アジアの次はロシアが危ないかも!」と心配になり、ロシアへの投資を引き揚げ始めました。

ロシア国債を欲しがる投資家が急減し、「高い金利を受け取れないとロシア国債は買わない」と考える投資家が増え、その結果ロシア国債の金利は上昇しました。

1997年12月にIMFが、デフォルト寸前に陥った韓国に、お金を貸して救済した時、ロシアへの不安も一旦おさまり、ロシア国債の金利は低下しました。

しかし1998年に入り、世界的な景気の悪化によって石油の価格が下落しました。

ロシアにとって石油の輸出による収入は虎の子でした。

石油の価格が下落したため、「ロシアの収入が減る。ロシアがデフォルトするかもしれない!」という不安が高まりました。

そして、ロシア国債の人気が低下し、ロシア国債は金利を80%まで上げてようやく買い手が現れるような状態になっていました。

1年で、80%の金利が付くのですから、うまくいけば、お金を1年で1.8倍にすることができます。このような高い金利でないと国債が売れなくなったということは、それだけロシアに対する不安が高かったということです。

海外の銀行など普通の投資家は、80%の金利でもロシア国債を買うことはできませんでした。万が一お金が返ってこなかったら大変だからです。

では、どのような投資家が、こんなに人気の落ちたロシア国債を買ったのでしょうか。

それは、主にヘッジファンドなどの投機家たちでした。

ヘッジファンド達は、「IMFは韓国を助けた。ロシアも助けるだろう。だから実質ノーリスクだ。」と考えて、ロシア国債を買い、高い金利を受け取っていました。


【解説】

 ヘッジファンドがロシア国債を買った理由について
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デフォルトが心配され、金利80%を付けないと売れないロシア国債を、ヘッジファンドは購入した。ヘッジファンドは、「IMFがロシアを救済するので、ロシアはデフォルトしない」と考えていた。
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事実、IMFはロシアへの融資を続けていて、ロシアはIMFから借りたお金からロシア国債の金利を支払っていたのです。

これに対し、IMFへ出資している国々から批判がおきました。

IMFがロシアに貸しているお金は、もともとアメリカや日本等がIMFへ出資したお金です。

そして、アメリカや日本が出資したお金は、もともとアメリカや日本の国民が納めた税金なのです。

世界的な不景気の中、アメリカや日本などの国民は不安な生活を送りながら税金を納めていました。

その一方で、ヘッジファンド等の投機家は、ロシア国債への投資を通してその税金をまんまとせしめていたのです。

「IMFは、国民の税金でヘッジファンドを儲けさせている!」

アメリカや日本の政府は、国民のこのような不満を無視することはできません。次の選挙で負けてしまうかもしれないからです。

アメリカや日本は、IMFを批判しました。

IMFも出資者の批判を無視することはできません。ロシアへの融資を続けることは非常に難しくなって行きました。

そしてついに、IMFはロシアへの融資をストップします。

融資を止められたロシアは、国債の高い金利を支払うことはできません。

1998年8月17日、ロシアは金利の支払いができずに、デフォルトを宣言しました。

大量のロシア国債を持っていたヘッジファンドは大損してしまいました。

ポンド危機や、アジア通貨危機では予想を的中させて大儲けしたヘッジファンドでしたが、「IMFがロシアを見捨てる」ということまでは予想できなかったのです。

こうしてロシアはデフォルトし、ヘッジファンドは大変な損失を被りました。

そして、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者二人をメンバーに持つ大手ヘッジファンド「LTCM」が破綻の危機を迎えました。



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