今回は「予備知識無しでもよく分かる経済解説」シリーズをお送りします。
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「プラザ合意」とは
1985年のG5(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の財務大臣と中央銀行総裁が集まる会議)において、「プラザ合意」という取り決めがなされました。
この「プラザ合意」とは、簡単に言うと「これからアメリカドルが安くなるように5ヶ国が協力しよう」と5ヶ国の間で合意したことをいいます。
そして、この「プラザ合意」が1980年代後半の日本バブル景気のきっかけとなりました。
どうして「プラザ合意」とバブル景気に関係があるのか、まずはプラザ合意の背景から見ていきましょう。
「プラザ合意」の背景
「プラザ合意」が結ばれた背景には、アメリカが毎年貿易赤字となる一方で、日本が貿易黒字を続けるという貿易不均衡の問題がありました。
日本がアメリカに車や電化製品等を輸出してお金を稼ぐ一方で、アメリカ製の商品は日本ではあまり売れなかったのです。
アメリカは「日本はアメリカ相手に金儲けしているくせに、アメリカが日本へ物を売るのを妨害している!」「日本の制でアメリカの失業者が増えている!」と日本を非難することがしばしばでした。
そこで、アメリカの貿易赤字を何とかする必要があったので、アメリカドルを安くすることで、アメリカ製品の値段を相対的に安くし、アメリカ製品の輸出が伸びるように仕向けようとしたのです。また、アメリカドルが安くなれば、アメリカから見た外国製品の値段は高くなりますので、アメリカの輸入は減ることになります。
こうして、アメリカドルを安くすることで、アメリカの貿易赤字をなくそうとしたのです。
【解説】
プラザ合意について
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プラザ合意とは、1985年のG5(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の財務大臣と中央銀行総裁が集まる会議)で、「アメリカドルの低下を容認する」ことを合意したことをいう。
アメリカの貿易赤字拡大が問題となっていたため、アメリカドルの価値を下げ、アメリカ製品の価格を下げることが目的だった。
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ドル安、そして円高不況
プラザ合意後、G5各国は強調してアメリカドルが安くなるように為替市場を誘導しました結果、目論見通りドルは下落していきました。
ドルの価値が低下したためアメリカ製品の値段が安くなり、アメリカ製品の輸出は増えていきました。
アメリカドルが安くなるということは、アメリカ人から見ると日本円は高くなる、ということです。
すると、アメリカ人から見た日本製品の値段は値上がりすることになります。
そのため、アメリカ人は高い日本製品よりも、安いアメリカ製品を買うようになりました。
そして、日本の輸出は減っていきました。
日本の輸出企業の業績が落ち、従業員のボーナスや給料が減らされると、従業員は支出を切り詰めるようになります。また、輸出企業に部品などを販売している会社の業績も落ちてしまいました。
こうして、日本は不況になってしまいました。
この当時の不況を、円高が原因の不況であることから「円高不況」とよびます。
【解説】
「円高不況」について
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1985年のプラザ合意以降、アメリカドルが下落し、日本円は相対的に高くなったため、アメリカ人から見た日本製品の値段が上がってしまった。そのため日本製品が売れなくなり、日本は不況となった。当時の不況を「円高不況」という
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「カネ余り」の発生
不況に対応するために、1986年に日本銀行は公定歩合を5%から引き下げていき、1987年には公定歩合を2.5%にしました。
「公定歩合」とは、日本銀行が民間の銀行にお金を貸すときの金利のことです。
民間銀行が低い金利でお金を借りることができるようになると、銀行は企業への融資を増やしました。安い金利で調達したお金なので、低い金利で企業に貸しても、十分儲けることができるからです。企業も低い金利でお金を借りられることはうれしいことでした。
お金を借りた企業は、商売のための設備投資などのお金を使いましたが、どんどん低い金利でお金を借りることができるため、商売の設備投資だけでは、お金を使い切ることができなくなってきました。
この現象を「カネ余り」といいます。
【解説】
「カネ余り」について
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1980年後半、「円高不況」への対策として日本銀行は公定歩合を5%から2.5%に下げた。低い金利でお金を日銀から調達した銀行は、低い金利でどんどん企業にお金を貸した。企業は低い金利でたくさんのお金を借りたが、ついにお金の使い道に困るほどの金額となった。この現象を「カネ余り」という。
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バブル発生
日本銀行による公定歩合の切り下げは、「円高不況」を脱却することが目的でした。
しかし、公定歩合切り下げによって金利が低下した効果は予想以上に大きく、世の中は不況を通り越して好況となり、使い道のないお金が有り余るほどになってしまいました。
使い道の見つからないお金を持つ企業は、土地や株を買いました。
土地や株を買う動きはとまらず、地価や株価はどんどん上昇していきました。
土地の値段が全く下がらずに上がり続けるために、「土地の値段はこれからも上がり続ける」という「土地神話」を皆が信じるようになりました。
企業は、土地などを「担保」にして銀行からお金を借ります。
「担保」とは、銀行からお金を借りるときに、「もし私がお金を返せなかったら、この土地を銀行に差し上げます」と約束することを言います。
銀行は土地の価格を査定して、その査定金額をもとに貸すことのできる金額を決めます。
そして、土地の価格がどんどん上がると、銀行は土地の価格査定を再び行い、地価が上がった分だけさらに融資をすすめました。
愚弟的に見てみましょう。例えば、ある企業が1億円で土地を買ったとします。
そしてこの土地を担保にして銀行に融資を申し込みます。銀行は土地の価格を1億円と査定して、企業に1億円貸します。
今この企業は、1億円の土地を持ち、1億円の現金を銀行から借りました。
しばらくして、この土地が2倍の2億円に値上がったとします。
すると、銀行は企業に、「土地価格が1億円から2億円に上がったので、あと1億円貸せますよ。」と持ちかけます。
企業は、土地を担保にもう1億円借ります。
今この企業は、2億円の土地と、2億円の現金を持っています。この現金は銀行からの借金です。
「土地の値段は上がり続ける」という「土地神話」を信じている企業は、銀行から借りた2億円でさらに土地を買います。
今この企業は、4億円の土地を持っている事になります。同時に2億円の借金があります。
そしてさらに土地の値段がさらに2倍になりました。
すると、企業が持っている土地の価値は2倍の8億円になります。
最初1億円の土地だけを持っていた企業が、あっという間に8億円の土地を持ってしまいました。そして借金は2億円です。
借金をして土地を買うだけで、大儲けできてしまいました。
このようにして、次々と借金して土地を買う企業がたくさん現れ、土地の値段はどんどん上がっていきました。
銀行もどんどん融資を増やして儲け、さらに銀行自身も土地を買うことで大儲けしていました。
こうして1980年代の「不動産バブル」が発生したのです。
【解説】
1980年代後半の不動産バブル発生について
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1980年後半、「プラザ合意」を契機とする「円高不況」への対策として日本銀行は公定歩合を5%から2.5%に下げた。その結果、低い金利で借りたお金で土地を買う企業が多く現れ、土地の値段はどんどん上がっていった。銀行は値上がりした土地を担保にすることでさらに企業にお金を貸し、企業は借りたお金をさらに土地に投資した。こうして土地の値段がどんどん上がり、不動産バルブが発生した。
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