江戸時代の武士は、皆これらを読んで勉強しました。日本には武士道という価値観がありましたが、武士道は、これらの四書を学び切磋琢磨した武士たちによって作り上げられた価値観です。
この四書を読むと、心が洗われる気がします。江戸時代の武士たちが読んだ書物を、現代の自分が読むというのも、とても楽しい体験です。
明治時代まで残っていた武士道精神は、いまや失われてしまった、といわれています。
しかし、武士道や日本の美徳のなごりは、私達の心に、いまだにかすかに残っています。
だからこそ、現代の私達が四書を読むと、なつかしいものを久しぶりに見つけたような、不思議な感覚に捉われるのだと思います。
「大学」は、儒学全体の要約という位置づけです。「修己治人」、つまり、天下の人を治めるには、まず自分自身の修養が必要だ、ということが説かれます。そして、そのための方法が説明されます。
次の「論語」では、孔子の語った言葉の断片が集められています。大学を読んでおくと、論語の一つ一つの断片を、体系的に理解できます。
最後の「中庸」は、道徳や政治のあるべき姿とはなにか、という話からはじまり、個人が正しく生きることによって、人間社会が良くなるだけでなく、自然界や宇宙ですらも、あるべき良い姿に整っていくという、哲学的というか唯心論、観念的な話に展開していきます。
正直言って、「中庸」の唯心論的な話は、私にはよく理解できません。
しかし、これら四書の中の、現実社会での生き方を示唆する文章には、いちいち感銘を受けます。
新自由主義、資本主義、市場万能主義、という西洋製の価値観の存在意義が揺らいでいる今、私達日本人がよりどころにすべきは、武士道と、武士道の根幹をなしている四書なのではないか、と私は考えています。
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